
黒の漆に、銀の錫(すず)粉(こ)を蒔いて引っ掻(か)いて描く「針描き」。その技法を使って、漆の新しい表現方法を切り拓いた黒木沙世さん。漆と錫粉がかもしだすモノトーンのコントラストには、どんな思いやテーマが息づいているのだろうか?
漆に、植物の凛とした美しさ
漆に模様を描くというと、一般的には蒔絵や沈金、螺鈿と言った伝統技法を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。しかし黒木さんの作品には、鮮やかな色の輝きや煌びやかな装飾はいっさいない。漆の黒と錫(すず)粉の銀を基調にした至ってシンプルな作品だ。花鳥風月や精緻な伝統技法が目を惹く漆器や工芸品とは対照的に、自分の中にある思いや気持ちを、モノトーンのコントラストのなかに封じ込めた独特の世界観が息づいている。
「針描きとの出会いは、陶芸の掻き落としの作品を見た時です。印象的だったのは、錫の銀色と、漆の黒から現われる白黒のコントラストがモダンなイメージに思えたんです。錫は、銀と違って色が変わりにくく、針描きの線とあわせたときに見やすくて素敵だと感じたのも取り入れようと思った理由です。大学の時に、器に施してみたのが初めての作品になりました」
モノトーンとはいえ、針描きには絵画の素養も必要だ。黒木さんは「絵は特に勉強したわけではなく、美大でデッサンの授業に習った程度」と謙遜する。が、漆にどんなふうに描きこむかは、休みの日や時間のある時に対象物を見ながらスケッチする。
「とくに植物が持っている生命力に惹かれます。カメラのマクロ機能を使って植物を撮ると、いろんな模様が写るのが不思議なんです。植物のはかない命から生み出される、凛とした美しさ、植物が短い一生のなかで見てきた景色を自分の作品に投影できないか、いつも心がけています」
金沢で才能を開花させる
黒木さんは、京都府亀岡市の出身。生家は陶芸一家で、家のなかには普段の生活に使う陶芸品があふれていたという。生まれ育った場所が、緑や自然の植物に囲まれた環境で、小さい頃から庭の花の名前を覚えたり、花を摘んだりすることが好きだった。植物を描くことが多いのも、そのあたりに理由があるのかもしれない。
「身近にいつも作品があったので、モノづくりに対する憧れはずっとあったし、自然と好きになっていました。美術系の高校に進んだのもごく自然な流れだったように思います」
高校卒業後は、京都市立芸術大学美術学部に入学、工芸科の漆工専攻で髹(きゅう)漆(しつ)を学ぶ。その後、作家をめざして金沢卯辰山工芸工房に進み、さらに技を磨いた。そのプロセスをたどるなかで、漆に対する黒木さんの思いはどのように変化していったのだろうか。
漆の素材としての素晴らしさを知ったのは「京芸(京都市立芸術大学?)の漆の先生の展示会を見に行ったときです。化学塗料をいっさい使わず、自然のものでありながら光沢を放つ、その姿に心を奪われた」ことだ。以来「なんでこんなにもピカピカしているんだろう」と言う新鮮な驚きは、今も黒木さんの作品づくりの原点になっている。
「大学時代は、良い先生にも恵まれて自由に作品づくりができました。オブジェなど器とは関係ないモノに挑戦したり、漆で様々な表現をされている先輩と出会ったりして大いに刺激を受け、表現する楽しさも学べたと思っています。卒業後は、漆の伝統工芸の職人さんに弟子入りする道もあったのですが、大学の先生に『作品には自分の表現を持った方がいい』とアドバイスされたことを機に、作品づくりに気持ちが傾いたのかもしれません」
そのときはまだ、漆でどう表現するか決まっていたわけではなかった。むしろ漆を学ぶ環境が整っている金沢卯辰山工芸工房で、自分の表現を見つけたいと思ったようだ。しかし金沢の地を踏んだ黒木さんは、工芸工房での講評会の席で、指導する先生や同僚の生徒から、厳しい言葉を投げかけられる。
「スキル面での貴重なアドバイスももちろんいただいたのですが、自分の中で一番印象に残ったのは『もっと自分の表現を出した方がいい』という言葉でした。そのころには、漠然とですが、漆に模様を描こうと考えてはいたのです。たぶんそれが、自分のなかでずっと押し込めていた思いだったのでしょう。細かい絵や文様は、無意識に描くところがあって、そういう自分の内なる思いを外に出すのは恥ずかしいことだと思い込んでいました」
内なる思いを作品にしようという考えはなかなかもてなかった。しかし作家をめざすうえで必要なのは、作品のなかに自分の特徴をいかに表現するか。自分にしか作れない作品が差別化にもなると気づく。結果、黒木さんは『模様を描く』ことに自分の表現を見い出し、針描きと言う技法にたどりついたのだった。
漆器の機能美と素材の可能性を追求
漆の黒と錫の銀による独自の作品づくりを続ける黒木さんだが、「もっともっと針描きの技法を追求していきたい」と意欲を燃やす。目下、試行錯誤しているのは、漆の素材としての多様性を最大限に生かした作品づくりだ。
「漆は、黒や赤と言ったわかりやすい色合いだけではなく、金属質に表現することもできる多様性のある素材だと思っています。その性質を生かして一目見て印象に残る、または見る人の心が動くような作品をつくれる作家をめざしていきたいと思っています」
影響を受けた作家の一人に、椿の花などの作品を描いている漆芸作家・野口洋子氏の名前を上げる。「椿の花のいきいきした感じがとても好きで、自分もこんなふうに表現ができるようになりたいといつも尊敬申し上げています」
黒木さんの作品を購入したい人にどんなメッセージを送りたいか?
「漆は見た目の印象とは異なり、持ってみると軽いですし、木のぬくもりがあって、頑丈で長い間食卓で使えると思います。機能と美を兼ね備えた素材の良さを是非、味わっていただきたいと思います」
モノトーンの器に込められた機能美と素材としての可能性。黒木さんの作品にはまさにそんな世界観が広がっている。